2010.04.18 (Sun)
ひとりごと
このところ、悲しいニュースも多く見ていたので、なんだかあれこれ考えてしまいました。
かなり落ちていまして……ひとりごとです。
【More・・・】
ネパールのある農村には、貧しい暮らしを維持するために、子どもを預ける風習があります。男の子は寺に、女の子は尼寺に。
「預ける」という言い方ですが、もう一生会うことはできません。
預けることができるのは長男か長女のみ。
「尼寺に行けば勉強をさせてもらえるから、この子のためにはいいんだ」と寂しそうに話す父親の顔。
教育と食事を得られる場所に行かせてやることが、父親にとって最大の愛情表現なのでしょう。
満足に着るものや食べるものがない生活の中で、できるだけ多くの服を持たせ、家で食べる最初の夕食くらいお腹いっぱいにしてあげたいと干し肉やゆで卵を準備する母親。
お手伝いする長女に「一番何が楽しい?」という取材スタッフが問うと、「お母さんのお料理を手伝っている時」とニッコリ。
そうやって父と母が精一杯の努力をして準備したご馳走を目の前にしても、ゆで卵を一口食べて弟や妹にあげてしまう長女。
そして旅立ちの朝、長女は泣き騒ぐことなく、案内人にうしろについて去って行きました。
たぶんこの子に本心を聞けば「みんなと一緒にいたい」と言うでしょうね。
もしかしたら、「どうして長女に生まれちゃったんだろう」と思っているかもしれませんよね。
でも、親がどれだけ自分を愛しているか知っていて、自分も親の愛の深さを感じているからこそ不平不満も言わず、泣き崩れることもなく、愛ゆえに一生のわかれを受け入れたんだろうと思うと、涙が止まりませんでした。
8歳の子が親とわかれ、他人の中で暮らしていくのはどれだけ大変なことか……。
そして、もう二度と生きている間は親に会えないというのは、想像を絶する切なさだと思います。
そして、最近増えている子どもへの虐待。
最近のニュースでは、突発的に子どもを殺してしまうわけではなく、日常的に虐待を繰り返していて死にいたらしめてしまうというのが多いですね。
ニュースを聞く度に悲しくて、苦しくて、言いようのない虚無感におそわれます。
オーブンに入れたり、熱湯につけたり、ゴミ袋に入れたり……枚挙にいとまがありません。
ニュースだと事実の断片を知るだけですが、事情聴取や裁判の様子の一旦が報道されると、さらに胸をしめつけられる悲しみに襲われます。
小さな男の子が「お水をください」と懇願しつつ衰弱死してしまっていいのだろうか。
虐待した後に自己嫌悪で泣いている母を気遣い、小さな手でティッシュを渡してくれる優しい子を、また殴ったり蹴ったりしてしまう母の心の闇はどれほど深いものなんだろう。
切なくて、苦しくて、たまりません。
私自身、ひどい育児ノイローゼでした。
ムスコが赤ちゃんの時、まったく眠ってくれず体を掻きむしり、泣き声を聞きたくなくて無意識に口を押さえていたりすることがあったので、もしかしたら、ムスコの命を奪ってしまっていたかもしれないと思うと、今でも全身から血の気が引きます。
発作的に私自身が何をしでかすかわからず、つらかったです。
掻きむしるムスコの手を激しく叩き、手を動かせないようにバスタオルで頭だけ出してぐるぐる巻きにしたり、ミトンをかぶせてから包帯でグーの手になるように固定したり……。
そうやってムスコが体を傷つけないようにしなければ、私は自分の精神状態を維持できないほど追いつめられていました。
世の中の人から見れば虐待に見えるかもしれませんね。
言い訳にしか聞こえないと思いますが、私はムスコがひどいアトピーだという事実と、家族以外から可愛いと言ってもらえず目をそむけられるような状態のままで治してあげられないことで、自分を責め続けていました。
ムスコが掻きむしることと泣くこと、そして肌が黄色くぐしゃぐしゃになっていることにしか目がいきませんでした。
ムスコを愛しいと思うのに、可愛がれない。
初めての子育てでいっぱいいっぱいでストレスだけが溜まっていきました。
出来損ないの母なのに、ムスコが「純粋に愛する」ということを教えてくれたからこそ、今の私がいます。
ムスコのおかげで、私はアトピーとも食物アレルギーとも向き合って暮らせるようになりました。
3歳になったムスコは、外見からはアトピーとはわからないくらい肌の状態も良くなっています。
子どもは親を愛し、育てるために生まれてきてくれるのですね。
そして、子育てを温かく見守ってくれる人々の存在が、未熟な親を大人にしてくれるのですね。
子どもを生めば母性や父性が自動的に芽生えるなんていうことは、ないと思います。
笑顔で過ごす当たり前の日常というのは、なんと多くの愛情と善意によって支えられているのだろう。
ひとつの小さな環が欠けただけでも、当たり前が当たり前じゃなくなってしまうのですね。
「おはよう!」「おやすみ!」と挨拶を交わし、一緒に「おいしいね!」とご飯を食べることができる日常が何よりの幸せなんだ、と感じた今日でした。
なんだか、こんなひとりごとになってしまい、すみません。
こんな暗い内容の記事を最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
追伸:今回の記事に関しては、悲しい思いばかりがこみ上げてきています。
コメント欄の閉じ方がわからないので開いたままにしてありますが、もしもコメントを寄せてくださったらとても嬉しいのですが、つらくてお返事を差し上げられないことを先にお詫びいたします。
勝手なことを言って、すみません。
テーマ : アレルギー・アトピー - ジャンル : 育児
いっつもいっつも、たくさんをありがとうです^^
コメントじゃないんで、お返事はいらないです♪
まだママが制服を着てる頃、かわいいなぁ~、あの人のところに行きたいなぁって、空から眺めていたそうです(^^)
障害がある子は、育ててくれる親の元に産まれてくるといいますが
えららんさんの息子さんも、こうやって一緒にアレルギーに付き合ってくれるママだって知っていたから、産まれてきてくれたんでしょうね(^^)
全部の記事を読ませていただきましたが、とても勇気をもらいました!
末っ子のアレルギーで、パンの禁断症状(笑)が出ていましたが、今ではすっかり米粉パンのファンです(*^^*)
パウンド型でミニ米粉パン、最高です~!!
友達のアレっ子にもプレゼントしたら、ものすごく喜んでました(^^)v
一言お礼が言いたくて…
なので、お返事はいらないです(^^)
あれは虐待だったんだと思います。
息子=苦しみでした。
ヒーリングに助けを求め、そして今があるのですが。掻きむしる音に気配に気がふれていました。でも理由はそこじゃないんです。
私の場合、子どもに出会ってから見えなかったたくさんの自分に向き合うことが苦しかったのだと思います。そして今があります。
こうやってえららんさんのブログに共感できる今に感謝します。
ありがとうございます。
いつも楽しみにブログ拝見しています。
私もアトピーを持つ3歳の男の子の母です。
偶然にも東京在住です。
8ヶ月から保育園へ子供を預け、保育園での離乳食が始まってからアトピーを発症しました。1歳過ぎのことです。
医師の診断書があるにも関わらず、保育園の看護婦は「血液検査が陰性なんだから除去食をする必要はない」と言い張り、結果、子供は入院するハメになりました。
保育園側とも話し合いましたが、保育園側には全く責任はない、預かれない…で私は仕事を辞め、子供は退園しました。
入院した時、かなり強い薬を使ったので、子供の身体はボロボロになりました。私も掻いて血だらけになる我が子に気が狂いそうになりました。えららんさんと同じ状態になりました。
えららんさんのお気持ち、とても、とてもよくわかります。
「おはよう!」「おやすみ!」と挨拶を交わし、一緒に「おいしいね!」とご飯を食べることができる…そんな当たり前の日常が一番幸せなんだと私も思います。
何度も押さえつけました。
手袋もぐるぐる巻きにしました。
私も苦しかったけど、
息子も苦しかったと思う。
私はえららんさんのブログに励まされ、勇気をもらい、
食べることをあきらめずにやってこれました。
そんなえららんさんにも苦しい時期があったのですね。
私だけじゃなく、みんな苦しかったんだ。
なんだか、感動しちゃいました。
また、頑張れそうです!
アインシュタインの他人が必要な時に責めてくれる、っていう表現に、ぐっときました。
自分が自分を責めて、その責めている自分を他人も責めるとしたら、逃げ場がなくなって精神的に壊れて行くだろうし、どんどん悪い連鎖にはまっていきますよね。
中山さんの「反省も後悔も一度すれば充分」という言葉も、軽々しく反省の言葉を口に出すくらいだったら、起こったことの重要さを心に刻んで二度と口に出せないくらい反省し、あとは起こしてしまったことにこだわって今をおろそかにするな、ということなんでしょうかね。
両方とも読めば読むほど含蓄がありますね。
これから、この2つの名言を忘れず、大切に心に刻んでいきたいと思います。
いつも励ましてくれて、ほんとうにありがとうございます。
ほんとうに、そのとおりですね。
逃げたって、目をそむけたって、やってしまったこと、自分の悩みが消えるわけではないですもんね。
それを受け入れて、受け入れた後に、なにを考え、何ができるかが大切なんですよね。
そういう私の必死のあがきをムスコはいつもそばにいて、ある意味、ずっと成長を見守っていてくれたのだと思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。
うまく言えないのですが、私の気持ちも壊れそうになっていた時、ムスコの体調が非常に不安定だったことを考えると、私の心の闇をムスコがやわらげようとしてありったけのエネルギーを使っていた、っていうこともあるんじゃないかと思ったりしました。
ムスコに力によるヒーリングを受けた、と自分では思っています。
変な表現で、伝わりますかねぇ……。
くるみあちゃさん、いつもいつも見守っていてくださって、優しい思いをかけてくださって、ほんとうにありがとうございます。
> まだママが制服を着てる頃、かわいいなぁ~、あの人のところに行きたいなぁって、空から眺めていたそうです(^^)
胎内記憶以前の、胎内に入る前の記憶がある子がいるんですね~。
「かわいいなぁ~、あの人のところに行きたいなぁ」って空の上から見ていて、ママのところに来てくれたんですか。
そうですね、障害がある子も食物アレルギーがある子も、きっとママを選んでやってきてくれるんでしょうね。
そうやって、たったひとりの親を選んで来てくれると考えたら、ほんとうにありがたくて、子どもを精一杯育てないと、と思いますよね。
私も原因不明の流産を4回しているので、来てくれたムスコに感謝、感謝です。
> 全部の記事を読ませていただきましたが、とても勇気をもらいました!
> 末っ子のアレルギーで、パンの禁断症状(笑)が出ていましたが、今ではすっかり米粉パンのファンです(*^^*)
記事を全部読んでくださって、ありがとうございます!
米粉パンって、ほんとうにおいしいですよね。
お友だちも喜んでくださったなんて、とても幸せです!
私もムスコが食物アレルギーでなかったら、米粉クッキングのおいしい世界への目覚めはなかっただろうと思うので、ほんとうにムスコにいろいろ学ぶきっかけをもらったと思います。
まみさん、優しいお気遣い、ありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
2つのコメントへのお返事で失礼します。
その国ごとの文化の違いで、男の子が大切にされる場合が多いですけど、女の子が大切にされる場合もあるみたいですね。
女の子というだけで、両親に罵声をあびせられ、こき使われるなんて、切ないですね。
性別なんて二の次で、大切な命なのに……。
お友だちの話、涙なしには読めませんでした。
本人の心のありようが何よりも大切で、まわりがあれこれ心のうちを推測して軽々しく言葉を投げかけるなんて、失礼この上ないことですよね。
私が泣くこと自体、失礼に当たるとは重々承知しているのですが、ほんとうにすみません。
ほんとうに、おっしゃる通り、本人がどう捉えるか、ですよね。
問題が生じるたびに、ひとつの問題と自分の関係性の中に答えを求めると、ひとつ問題が解決しても、新たな問題が起こったら悩み苦しむことになりますが、自分自身の中に解決策を見つける努力をしていけば、いつか自分の心の中の闇が少しずつ薄れて行きますもんね。
そうですよね……気づかせてくださって、ありがとうございます。
物事は1つの面から考えていてはダメで、いくつもの角度から考えたほうがいいと頭ではわかっているはずなのに、どうしても過去にとらわれて視界がせばまっていました。
今回のコメントをいただいて、心の中に沈殿していたオリがすっと無くなったように感じます。
大切なお話を聞かせてくださって、ほんとうにありがとうございました。
たくさんの優しさに触れさせていただいて、感謝申し上げます。
> あれは虐待だったんだと思います。
過去の苦しかった胸のうちを教えてくださり、ありがとうございます。
いただいたコメントのどれもこれも共感することばかりで、なんとお返事したらよいのか……。
胸がつまって、言葉が見つからないほどです。
> ヒーリングに助けを求め、そして今があるのですが。掻きむしる音に気配に気がふれていました。でも理由はそこじゃないんです。
> 私の場合、子どもに出会ってから見えなかったたくさんの自分に向き合うことが苦しかったのだと思います。そして今があります。
息子さんが苦しみのもとだと感じていたけど、それよりも根本的に、息子さんに出会ったことによって今まで気づかなかった自分に向き合うことが苦しかった、という言葉、心に響いて……私の気持ち、そのままです。
そうなんですよね、目に見えるものについつい反応してしまいますが、目に見えるものよりも深いところに原因はあるんですよね。
そして原因はすべて自分の心の中にあるものなんですよね。
見方によって、物事って180度変わって見えるものですもんね。
> こうやってえららんさんのブログに共感できる今に感謝します。
楽さんからいただいたコメントのおかげで、ものすごく深い気付きを得ることができました。
こちらこそ、ほんとうに、ありがとうございます。
私のひとりごとに心のこもったコメントを寄せてくださって、ほんとうにありがとうございます。
いつも見てくださっているとうかがい、とても、とても嬉しいです。
> 私もアトピーを持つ3歳の男の子の母です。
> 偶然にも東京在住です。
我が家とまったく一緒なのですね!
なんだか、とても親近感を感じてしまいます。
> 医師の診断書があるにも関わらず、保育園の看護婦は「血液検査が陰性なんだから除去食をする必要はない」と言い張り、結果、子供は入院するハメになりました。
理解のない看護師の態度、あまりにひどい!
陰性であってもアレルギー反応が出る場合には、アレルギー反応を尊重すべきで、血液検査の結果に固執してはいけないなんて、今や常識なのに!
保育園という小さな子どもを預かる場所だからこそ、医師の指示を尊重し、診断書だけではわからない日常的なことは保護者から聞いて子どもの健康を守るのが仕事のハズなのに、それができないなら、保育園の看護士にならなければいいんです!
そんな傲慢な態度、許せない!
その無理解で医学的知識も低い看護師のせいで息子さんが入院することになり、その責任を保育園が認めもせず、結果として退園することになってしまったなんて、ひどすぎます!
> 入院した時、かなり強い薬を使ったので、子供の身体はボロボロになりました。私も掻いて血だらけになる我が子に気が狂いそうになりました。えららんさんと同じ状態になりました。
今は退院なさって息子さんの身体の状態は落ち着いているのでしょうか。
入院が必要になるほど食物アレルギーの出てしまい、強い薬を使わなくてはならなかったなんて、ほんとうにつらかったでしょうね。
想像するだけでも涙がこみあげてきます。
そして、アトピーっ子かーちゃんさんの身体の症状は軽くなってきたのでしょうか。
身体に負担のかかる生活を強いられ、それに加えてストレスがかかると、身体のバランスは崩れてしまいますよね。
私はストレスがかかりすぎると身体に出て、その後、眠れなくなって薬が必要になったりするので、ままならない自分の身体が悲しくなることがあります……。
食物アレルギーがあったり、アトピーがあったりすると、ストレスがかかりやすい分、「当たり前の日常」を維持するのがノンアレの家庭よりも少しコツが必要かもしれないですよね。
上手にストレスを発散するコツみたいなものが。
東京都在住で3歳の息子さんということだったら、もしかしたら3歳児健診の時にすれ違っているかもしれませんし、病院の待合室で隣同士で座っているかもしれませんね。
なんだか、アトピーっ子かーちゃんさんがすぐそばにいてくださる友達のように感じて、幸せな気持ちになってしまいました。
いろいろと大切なお話をうかがった後で、こんなことを言うのは失礼かもしれないのですが。
今回はほんとうにありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
9歳のお嬢さんと、1歳半のマルチアレルゲンの息子さんがおられるのですね。
お子さんがおふたりいるのは幸せなこととは思いますが、1歳半だとまだ食物アレルギーの反応が出やすくて心配ですよね。
ムスコは1歳半まで大量の薬を使っていたのですが、それでも痒くて眠れず、血だらけで、ムスコが可哀想だと思うのに、その掻きむしる音に気も狂わんばかりになる私がいました。
そうなんですよね、日本中にはありえない経験をしている子どもたちもたくさんいるのですよね。
せっかく愛されるために生まれてきてくれる子どもたちなのに、愛情に満たされることもなく、短い命を終えるなんて、あってはならないことですよね。
私もまったく同感です。
まだまだたくさん問題をかかえていても、食べられないものがあっても、それが足りない分は愛情で満たしてあげたいと思います。
つらいのは私だけじゃなくて、つらい思いを乗り越えて愛情溢れる生活をしていると教えていただき、心にポッと灯りがともって、心が温かくなりました。
ほんとうに、ありがとうございます。
そうですよね、あまり考え込むのはよくないですね。
悲しい事実を知るとつらいですが、悲しみにひたるのがいいわけではなく、そういう悲しみを少しでも減らせるように、と考えたほうがいいですもんね。
「世界は一人で変えられる」
いい言葉ですね!
なんだか勇気がわいてきます。
「ムリだ」と最初から諦めず、とにかく一生懸命やってみればいいんですよね。
うん、そうだ、もっと私、頑張れます!
「何かに反省する心を一人が持つだけで、もうすでに少し変わっている」
これもまた素晴らしい言葉ですね。
言われてみれば、そうですね。
反省する、ということは、自分がやってしまったことを客観的に判断している、っていうことですもんね。
感情的になったままだと見えるものも見えないですけど、客観的になれば、見えなかった何かが見えてきますもんね。
素晴らしい言葉を投げかけていただいて、心の中にすーっと爽やかな風が通り抜けていくような気持ちになりました。
ほんとうにありがとうございました。
心のこもったコメントを残してくださり、ありがとうございます。
いつも遊びに来てくださっているとうかがい、とても嬉しいです。
30品目以上のアレルギーを持つ4歳の息子さんがおられるのですね。
幼稚園との意思の疎通、なかなかうまくいかないものですよね。
私も保育園とのやりとりで疲労困憊してしまうことがあります。
代替弁当を作る手間とかそういうものではなく、心ない言葉や、配慮に欠けた対応で傷つくことが多く、その度、「なんで私ばかりこんなに我慢しなくちゃならないんだろう」と思ってしまいます。
ムスコが健やかに楽しく過ごせるように、とひたすら願って事を荒立てないようにしているものの、「もう少し、こうしてくれれば」という思いが日々、こみあげてきます。
私もまったく同じ気持ちです!!!
人前で泣くことができず、同情されるのがイヤで人に弱音もはけず(←このブログでは弱音を吐きまくりですけど)、なんとか平静を装って日々を過ごしていますが、心の中ではいつもピリピリしています。
何かがあった時、自分に憎しみを感じるくらい苦しくなっているのに、それに覆いかぶさるように他人の無責任な発言を聞くたび、心の殻が厚くなっていくという気持ち、ほんとうによくわかります。
私のブログに来てくださって、「同じ気持ちでいるよ」と教えてくださってありがとうございます。
そして、「頑張れ」と励ましてくださって、心から感謝いたします。
決して「一方通行」ではないですよ。
私のほうこそ、ブログを通じて、素敵な友達に巡り合えたことを幸せに思います。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
> 何度も押さえつけました。
> 手袋もぐるぐる巻きにしました。
> 私も苦しかったけど、
> 息子も苦しかったと思う。
店長の嫁さんも同じように苦しかったのですね。
子どもの手を押さえつける時も、手袋をはめる時も、やりきれない気持ちと悲しみがこみあげてきて、つらくて、つらくて仕方がないですよね。
そうですよね、おっしゃるとおり、店長の嫁さんが苦しんでいる時には、息子さんも苦しかったんですよね。
ついつい私、自分主体で考えてしまっていました。
母が苦しんでいるだけじゃなく、子どもだって苦しいんですよね。
お互いに苦しくて、苦しくて、それでも愛情を交わしているからこそ、乗り越えられるんですよね。
> 私はえららんさんのブログに励まされ、勇気をもらい、
> 食べることをあきらめずにやってこれました。
そんなふうに言っていただくと、ありがたくて涙が出そうになります。
私が先輩アレッ子ママたちからたくさんの勇気と希望をいただいてきた感謝の気持ちを込めてブログを続けてきましたが、つたない私の記事が店長の嫁さんの心に届いていたなんて、嬉しくて、幸せで。
今までもみなさんに支えていただいているのを感じていましたが、今回の記事で、私がブログに遊びに来てくださるみなさんからたくさんの勇気をいただいているのかを、今まで以上に強く感じました。
店長の嫁さん、ほんとうに、ほんとうにありがとうございます。
感謝の気持ちでいっぱいです。
私のひとりごとを読んで、「目の前にある幸せに気付いた」と言っていただいて、嬉しくて涙がこぼれそうです。
望むか望まないかにかかわらず親と別れなければならない子どものことや、幼くして命を奪われてしまう子ども、私の悔いても悔やみきれない過去を書きつづって、私には暗い闇しか見えませんでしたが、そこに「幸せ」という光を見いだしてくださったなんて。
ありがとうございます。
そうですよね、子どもの病によって気付くこと、見えること、感じること、って言葉にできないくらいたくさんありますよね。
そして、日々、その病と向き合うことで、親である私たちの心にも子どもたちの心にも何かが芽生えていくんですよね。
私を選んで生まれてきてくれたんだよ、と言ってくださって、感謝します。
私が親じゃなかったら、こんなにアトピーや食物アレルギーにならないですんだのに、とムスコが大きくなってから嘆かないように、せめて私は精一杯できることをやって、愛情だけは「もう、いらない!」と言われるくらい表現したいと思います。
言葉にしないつつましい愛情ではなく、ダッコしてべたべたしてギューってして。
小さいうちしか身体や心に触れさせてもらえないでしょうから、「誰よりも大好きだよ」と伝えたいな、と思います。
虐待されて亡くなった子どもでも命の大切さを気付かせてあげられてよかった、と空へ帰っていくなんて、切なくて、愛しくて、涙がこぼれてしまいます。
そんなにまで深い愛情を持って親のところに来てくれるんですね。
その崇高な愛情に応えるためには、やっぱり、親がその時にできるかぎりの思いをこめて子どもを愛することしかないんですね。
過去があるから今がある……そのとおりですね。
過去にこだわって今が見えなくなったら、今を失い、未来もなくなることになってしまいますもんね。
そうですよね……もう大丈夫、頑張れそうです!
ありがとうございます。
心にずしーんと響く言葉の数々、ほんとうに感謝いたします。
まだ外は暗くて、世界の中で自分だけが起きているようなシーンとした気持ちでお弁当を作っている間、鍵コメントさんが私のブルーな記事を読み、私を気遣ってこんなに優しくて、心のこもったコメントをくださったこと、嬉しくて、ありがたくて、涙がこぼれてしまいます。
ネットという場なのに、隣で見守ってくださっているかのような心のぬくもりを感じています。
とても大切なことを聞かせてくださって、感謝いたします。
命というのはたったひとつでかけがえのないものですが、その命には周りをとりまく複雑にからまった糸があり、心は違う場所へ向かいたいと願っているのに、その糸に手足をからめとられて身動きできず、身動きできないこと悲しみや苦しみで心がどんどん傷ついていくこともあるのですね。
そして、その人に与えられた定めがあり、そこには本人でなければ選びとれない選択肢があり、それを選びとることにより救われる、ということもまたあるのですね。
想像するだけで、とても切なくなります。
「マイナスの感情は天に任せて、自分はできるだけのことをしよう。人には優しくなろう。同じなら楽しく生きよう」
まさに、おっしゃるとおりですね。
そう言っていただいて気づきましたが、心にマイナスの感情を持ったままでは、自分ができることもできなくなりますし、楽しいことにも気づかずに悲しみだけにとらわれることになってしまいますもんね。
マイナスの感情をゼロにしてからでないと、プラスの感情はわきませんね。
そうですね、自分が何かを求めるばかりだと苦しいだけですよね。
欠乏感や飢餓感からは新たなマイナスの感情しか芽生えないから、悪循環になりますもんね。
ありがとうございます、目からウロコが落ちるようです。
鍵コメントさんと出会えたこと、心から感謝しています。
うまく言葉が見つからなくて申し訳ありませんが、ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございます。
ただでさえ初めての子の子育ては大変で、長女には病気はありませんでしたが泣き止んでくれず、義両親との同居でのストレスで「可愛いと思えない・・」と旦那に泣きついた事がありました。キツいアレッ子の次男を育てながら、「これが長女や長男の頃の私だったらノイローゼになっているわ・・」と、いつも思っていました。3人目になると赤ちゃんのいる生活に慣れていてオムツ替えもミルクや母乳も(除去食ではあるけれど)離乳食も、 息を吸うように出来てきていて、それでも、母乳をあげるための自分の食事制限、高いお金を出して布団を買い替える、洗濯は すすぎを2回、外には干さない、掃除はシッカリ、3歳と4歳の上の子が食べている乳・卵・小麦などが次男に少しでも付かないように注意する、夏場は汗をかいたらシャワーして保湿、医師によってて違う治療法・・・頑張っているのに肌の改善は見られず、何を信じて育てていったらイイのかワカラナイ毎日。ずっと気が張り詰めていました。旦那に預けたら、次男の横で牛乳を飲み、次男の手が届くところに飲みかけのコップをテーブルに置き、注意すれば旦那は怒り、夫婦喧嘩にも。でも長女の時も次男の時では、全然、違いました。長女の時は、子供は一人なのに可愛いと思える余裕がなかったと思います。一人目の子育ては大変なのに、アレッ子で さらに働いていると悩みに悩んだと想像します。
こうして、その時期が過ぎたら、だんだん忘れてきます。辛さは思い出すけれど、思い出せる余裕も出てきたのだと思います。えららんさんは、愛情が大きいからこそ、こうして思い出して、こうして言葉で書き記し、周りにオープンにすることで、自分を戒めている(・・のかな)。愛情が深いからこそ、ですよ。
今も、「アレルギーですので除去してください、ちょっとでも口に入ると危険ですよ」と言われて、泣きそうになりながら頑張っているお母さんがいるんですよね・・。パソコンを使わない方も、まだまだ多いですし、周りに共感できる人がいないのは本当に辛い。どうしたらイイのだろう・・と思いつつ、自分のトコが忙しいので動けず。「次男が大きくなったら、食べられるようになったとしても、アレルギーの子を持つお母さんの気持ちが少しでも楽になるような、何かできれば・・」と思っていました。先日、地域のアレルギーの会に参加してきました。ご自身の子は、も除去をしていない方が代表をされ、米粉パンの講師の方のお子さんも卵のみ制限されているだけで、もう米粉パンは必要ないのに^^研究されていて、アレルギーの子とお母さんのために動いていらっしゃいました。日程は限定されていますが、五大アレルゲン除去のスイーツでカフェを開催されていました。私も、そろそろ動き始めたいです。区役所や保育園・幼稚園に、本に載っていないアレルギー対応レシピ、その地域のドコで購入できるかなどのリストなどを置いてもらって・・とか、考えているのですが、まずはアレルギーの会に参加し、活動してみて、出来る事を考えてみます。少しでも、小さいアレッ子を持つ お母さんの心細さが軽減できるように・・。
次男のクラスメイトに障害を持つ双子ちゃんがいて、3歳の頃、そのお母さんと知り合いました。それはそれは、強いオーラを放っていました。辛く苦しい感じがなく、笑顔で余裕があるようにさえ見える。えららんさんも、辛い事があった分、強い母親になられたのだと思います。深い愛情があって、今、強い母になり、それで、こうして書く事が出来たのだと思います。強くなりたくて、なったんじゃないし、強くなんてならなくてイイんですけど・・ネ^^;でも、これだけ息子さんの事を想っている えららんさん、息子さんは幸せだと思います。
泣いて泣いて、強くなったろうじゃないの^^いつもいつも、優しさ満載の記事に感謝です☆
いただいたコメントを読んでいろいろと考えていたのですが、kofuyuさんのおかげで見えてきたこともあり、やはりお返事を書きたくなってしまいました。
私が自分の頭の中を整理しつつkofuyuさんへのお返事を書くことで、もしかしたら、当時の私のように悩んでいるアレっ子ママが「いつか必ず改善する」と感じる一助となったらいいな、とも思いまして。
まとまりのないお返事になると思いますが、すみません。
> 医師によってて違う治療法・・・頑張っているのに肌の改善は見られず、何を信じて育てていったらイイのかワカラナイ毎日。ずっと気が張り詰めていました。
私の苦しい原因もやはり「何を信じればいいのかわからない」というところでした。
そして、手当たりアレルギーの本を買い集め、ネットで調べ、夜は眠ってくれないムスコをあやしながら睡眠不足の生活をしていて、もう、いっぱいいっぱいでした。
これで多少なりともムスコの状態が改善していたら、私も追いつめられたような気持ちになることはなかったと思います。
でも、まったく改善は見られず、悪化の一途をたどっていたのが苦しくて、悲しくて、切なくてたまりませんでした。
ムスコのアトピーは1か月で発症しましたが、アレルギー由来のものとわかったのは4か月頃でした。しかしアレルゲンが特定できず、母乳育児をしているのに食事制限を指導されていませんでした。そのせいもあり、ムスコの肌の状態はどんどん悪くなり、使う塗り薬や飲み薬の量は増えて行きました。
不安だからとドクターハンティングをしまくり、「あそこでアトピーが治ったらしい」と聞けば、飛んで行きました。
その悩んでいる最中に、「ステロイドには副作用がある」「抗生物質は絶対に使っちゃダメ」「アトピーは毒出し。出し切るまで自分が寝られなくても頑張るのが母親」といった声があれこれと聞こえてきて、病院から出される薬に頼っている私が出来損ないの母親のような気持ちになっていました。
誰からも「頑張ってるね!そこでふんばればいいんだよ」と言ってもらえず、ただただ情報に振り回され、不信感ばかりが膨らんで行く日々でした。
ネガティブな感情ばかりが心に満ちていて、ほんとうに息ができないほど苦しかった……。
今、思い返してみると、私は病院を転々とし、民間療法をあれこれ試していましたが、「ムスコのため」と言いながら、結局は、自分がムスコのアトピーから目をそむけるための言い訳として余計なことをしていたんだと思います。
当時、私は必死にアトピーを治そうと努力している自分、というものを感じることで、なんとか正気を保っていられたんです。
「アレルギー専門医」と看板を掲げている医師であれば、それなりの臨床経験を持っているのだから、1年とかある程度の期間での結果を見て、判断すべきですよね。
ほんの2、3回行っただけで「薬が多すぎる!」と過敏に反応するのではなく、なぜその量の薬が必要なのかと聞き、適正な使用量や塗り方などを指導してもらった上で、それでも効果が見られなかったり、自分の不安が解消しなかったら医師を変えれば良かったのですよね。
最初から医師の腕を疑ってかかっていたことで、育児ノイローゼがひどくなっていたことを思うと、ほんとうに、悪循環だったと思います。
家族も医者もだれにも頼ろうとせず、かえって何か言われるたびに自分への批難と受け取ってしまっていました。
心配してくれて言ってくれていることも、何もかも。
そして私の頭の中には、「一体、どうやったら治るんだろう? この地獄のような日々がいつ終わるんだろう?」と思いだけでいっぱいで、自分で自分を追いつめていたんだな、と気づきました。
心をはりつめて余裕のない状態になっていると、「信じる」とか「好意を感じる」ということは、とても難しいことですね。
> こうして、その時期が過ぎたら、だんだん忘れてきます。辛さは思い出すけれど、思い出せる余裕も出てきたのだと思います。
私もそう思います。
心が張り裂けそうになりながら過ごしていた日々は、その時に自分が何をしていたのかを思い出したくなく、できれば記憶から消し去りたいくらいです。
でも、それがその時の精一杯の私だったこと、ムスコを必死で愛したいと願ったゆえだったことを忘れたくない、とは思います。
私がムスコにしたことは今でもムスコに謝らなければならないことだと思っていますし、忘れてはいけないことだと思います。
でも、その時期を越したからこそ、ムスコの笑顔のありがたさや一緒に過ごせる幸せを強く感じていられるのではないかとも思います。
ふと思うことなのですが、もしかしたら、母親としての覚悟を固めるために、ムスコはアトピー・喘息・食物アレルギー・化学物質過敏症など、もろもろのアレルギー性疾患を持って生まれてきたのかもしれない、と感じています。
アレルギー性疾患がない子だったとしたら、私とムスコの関係はまったく違ったものだったと思います。
アレルギー性疾患があったゆえに、私とムスコの絆は強く太くなったと信じています。
「アレルギー性疾患も含めてムスコ」だと今は感じていますが、当時の私はアレっ子ママのブログでそのような表現を見つけても、「本当だろうか?本当に改善なんてするんだろうか?」と半信半疑でした。
アレルギー性疾患はきちんと向き合うことで改善していくし、逆に目を背ければ背けるほど大きくのしかかってくる、と今は感じられるようになりました。
なので、やっと「アレルギーは敵」ではなくなり、心の苦しさも消えて行きました。
一生のおつきあいになるのですから、必死に「いなくなれ、いなくなれ!」と目の前から振り払おうとするよりも、「いてもいいけど、あんまり出てこないでね」と上手にケアしていければと思っています。
> アレルギーの会に参加し、活動してみて、出来る事を考えてみます。少しでも、小さいアレッ子を持つ お母さんの心細さが軽減できるように・・。
kofuyuさんに同感です!
kofuyuさんはアレルギーの会に参加なさるのですね。
日本各地に地道に活動しているアレっ子ママや、元アレっ子ママたちがいますもんね。
私はたまたまパソコンを使える環境にいたので、アレっ子ママたちのブログから勇気をもらって頑張ってきましたが、kofuyuさんがおっしゃるようにまだまだパソコンを使わないママたちもいますもんね。
子育てに手がかかる時期が、一番、アトピーも食物アレルギーも強く出やすいというのが、ほんとうにつらいですよね。
私がブログを始め、毎日更新しているのは先輩アレっ子ママたちからもらった勇気と愛情への恩返しのつもりなのですが、ムスコがもう少し大きくなったら、そこからもう一歩進んで、実際にアレルギーっ子を育てるママたちと関わっていきたいなと思っています。
私はブログをやっていない時には緊張して書き込みができず、お互いにコメントのやりとりをしている人たちが羨ましかったので、直接、人と人が顔を見て話せるほうがいいな、と思ったりして。
ぼんやりと考えているのですが、区の開催する講座で「アレルギーっ子のためのお菓子」みたいなのをやらせてほしい、とムスコが小学生になったらお願いしに行こうと思っています。
kofuyuさんはもう具体的に動き始めていらっしゃるのでしょうね。
私は今すぐとはいかないのですが、できるだけ早くkofuyuさんの後を追いかけて走り始めたいと思います。
kofuyuさん、いつも勇気とやる気をありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
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